- 2006年7月 3日 22:32
1996年7月28日
放課後、今日は久しぶりに科学部は休みだ。
ここの所続いた激務から開放されるのはありがたいものの、
授業を終えてから調合や解剖を試みるあの独特な生活サイクルが
癖になった自分としては少々寂しいというか、物足りないものも感じる。
まあ、久々の休暇だ、
今日は早く家に帰ってぐっすり休むとするか。
紐緒さん目当てで科学部に行くのもいいが
何か最近彼女は爆薬の調合に凝っているらしく
科学部の奥に自分で作った小型シェルターに篭って
爆音や金属音と共に延々と実験に耽っているし、
流石にそこまで近付き自殺行為に走る程俺も馬鹿じゃない。
と、一息つき開放感に身を委ねていると
先日グラウンドでボールをブツけられたあの女の子の事がふと思い浮んできた。
古式という名前…やはり聞き覚えがあるんだがどうにも思い出せない。
ま、別な意味で縁のある紐緒さんを除き、
そもそも俺に思い当たる節がある程、
女子生徒との交流は無いしな。
どっかの雑誌でタレントとか歌手の似てる名を目にして
それと勘違いでもしてるんだろう。
ん、雑誌?
ちょっと待てよ…
なんか、思い出しそうな…
と、俺が記憶から彼女の名前を探索していると
後ろから聞き覚えのある女の子の声が俺を呼びとめた
???
「田中さん」
俺
「ん?は、はい?」
古式
「どーも、先日はご迷惑をおかけいたしまして…」
正に噂をすれば何とやらだ。
たった今、考えていた古式さんが俺の目の前に立っていた
俺
「あ、こんにちわあ。古式さん」
古式
「こんにちわぁ、私の事、覚えていてくれたのですね。
嬉しゅうございます」
そりゃまあ、今しがたその名前について
思い出していたばかりだからね
俺
「うん。で、どうしたの?
今日は何か用?」
古式
「はいー。実は先日のお詫びという訳でもないのですが、
もしよろしければ、野球のチケットを2枚ご用意いたしましたので、
今週の日曜日、スタジアムにご一緒出来ればと思いまして」
今週の日曜は科学部は無いし、
最近は実験のペースも緩やかになってきて
体力的にも余裕があるしな。
何より、彼女の存在について直接聞き出すことで
今詰まってる記憶のモヤも取れるやもしれない。
よし…
俺「あ、うん。いいよ是非、喜んで。」
古式
「本当ですか?嬉しゅうございます、
断られたらどうしようと思っておりました」
俺
「いやー、そんな。それじゃあ今週の日曜に
スタジアムの前で待ち合わせって事でいい?」
古式
「はい、私楽しみにしておりますので」
と、その前に一つ聞いておこう
俺
「あ、ごめん古式さん」
古式
「何でございましょう?」
俺
「あのもしよろしければ名前の漢字を教えてもらいたいんだ」
古式
「これはこれは失礼いたしました…
古(いにしえ)に、式神(しきがみ)の「しき」で、
《こしき》と申します。名前の《ゆかり》は平仮名なんですの」
あっ!思い出したぞっ古式不動産だっ!
前にバイト雑誌読んでた時に不動産情報の
ページにデカデカと掲載されてた大手企業の名前だ。
もしかしたら彼女と何か関係あるのかもしれない、一応聞いてみるか
俺
「あの、古式さん、
つかぬ事を聞くけど古式不動産っていう会社は知ってる?」
古式
「はいー、お父様の会社ですわ。
最近忙しくて中々御家に帰って来れませんの。」
えーっ!というか、まあ順当な結論だろう。
成る程ー、トンでもない人と知り合いになったなー。
でもまあ、打算的ではあるが付き合って損の無い娘だ、
今後の事を考え距離を置きながらでも付き合うとするか。
俺
「変な事聞いてごめんね、
それじゃ今週の日曜にスタジアムの前って事で」
古式
「はい、楽しみにしております。
それでは失礼いたします…」
《7月28日 日》
今日は古式さんと会う約束の日だ。
それじゃ、ちょっと早めに出てスタジアムの前で彼女を待つとしよう
スタジアムはここだな、すげー人だあ…
それに暑いし臭いなあ…おまけに何か暑苦しい生き物まで居るぞ。
寄るなこの野郎っ ディズニーに出てくる悪役みたいな顔しやがって
いやー、それにしても本当に今日は暑い…
こんなクソ暑い中、大男達の棒振り遊びなんかに熱中して何が面白いんだろう…
古式さんも野球見たいって事はそれなりに好きなんだろうなー…
よく解んないけど適当に話合わせて観戦してよう。
《1時間後》
来ねー…ていうか暑っちぃ
炎天下ん中、興味の無いスポーツ場を前に何をしてるんだ俺わ…
「ブオーン」
ん、随分排気音のでかい車が来たな?
あれ?こっちまで来るぞ?
れれ?歩道なのに…と、うわあっ!
(武田鉄也状態)
俺
「………」
顔面蒼白で立ち尽くす俺の目の前つーか若干胴体に擦れる形で、
異常に車体が長い超高級車が衝突事故寸前の距離で止まった。
「ガチャっ」
そしてそのドアの中から、
およそ身長190センチは下らないだろう、
筋肉質のゴツゴツした体に漆黒のスーツを着込み目にはサングラスをした、
一発で「コレモン」と解るスキンヘッドの大男が出てきた。
さっさらわれる!
そう確信した瞬間、その大男は後ろのドアを丁重に開け
中に座る誰かを招く様にエスコートした
その中から出てきたのは俺が心待ちにしていた古式さんだった
古式
「申し訳ありません田中様、
遅れてしまいまして」
俺
「あ、い、いや別にいいけど…」
俺は何とか平静を装いながら
彼女をスタジアム内へと手招いた
《スタジアム内》
俺
「あ、ほらあそこの席だよ」
古式
「はい」
俺は古式さんをチケットに書いてある指定席へと誘導すると席に座り
目の前で繰り広げられる棒振り合戦を見始めた、
丁度試合は3回裏が始まったばかり、
バッターボックスに向かい得たいの知れない外人選手が歩いていた。
うーん、確か野球は9回まであるんだったよな、
そんでお互いが守備と打順を交代しながらやるから1回から
数えて計18回の攻防がある。よし、大丈夫まだ始まったばかりだ。
俺
「古式さん、良かったね。
まだ試合始まったばかりだよ」
古式
「そうなんですの?
良かったですねぇ」
あれ?
俺
「古式さんってテニスやってるけど野球も好きなの?」
古式
「ボーっと観戦出来るのはよろしいですねぇ…」
確かに、野球は、「サッカー、バスケ、ラグビー」等、、
他の球技に比べ比較的ペースがまったりとしたスポーツだな。
観戦の合間に歓談するにはいいかもしれない。
俺
「あ、バッター入ったね」
古式
「そうでございますねぇ…」
俺
「凄いフォームだね」
古式
「テニスと似てますねぇ」
俺
「そ、そうだね」
古式
「あ、打ちましたねぇ」
俺
「入ったね」
古式
「そうですわねぇ」
俺
「こっち(応援席)の選手みたいだよ」
古式
「それはそれは、よろしゅうございました」
俺
「ところで古式さん」
古式
「何でございましょう?」
俺
「さっきの凄い車に乗車していた人って誰?」
古式
「運転手ですわ」
俺
「へ〜、お抱えの?」
古式
「はい、園児の頃はバス通園だったのですが、
小学生より私にはずうっと専属の運転手がついてますの」
俺
「凄いなー、今の黒服の人も昔からの運転手なの?」
古式
「いえ、3年程前に衝突事故を起こした運転手が居たのですが、
それ依頼パッタリと行方がわからなくなってしまいまして。
今のはその方の代わりの者ですわ」
俺
「ゆ、行方が…?
そ、その人ってどうしたの?」
古式
「さあ、私にはさっぱり…
ただ、お父様が「飛ばした」と申しておりました」
っ う〜ん…
俺
「どっか転勤になったんじゃないかな」
古式
「どうなんでしょうかねぇ、私にはよく解りません」
やっ ヤバいぞ
なんかヤバいぞ俺
とりあえず話題を摩り替えて
俺
「こ、古式さんのお宅ってどの位の広さなの?」
古式
「そうですわねぇ、
丁度このスタジアムが門前の庭と同じ位ですかねぇ」
庭がスタジアム!何だその面白い響きはっ
推定面積から察するに伊集院ん家より広いじゃないか
くぅヤバい、上流とかそういう問題じゃない
カタギじゃねえ!
俺
「お、お父さん古式さんの事大好きなんだねぇ」
古式
「はいー、今日も貴方とお出掛けすると言ってましたら
「門限を越えたらその男を連れて来い」と、
言ってましたわ」
俺
「えっえっ!門限って何時っ?
あ、また打った。」
俺
「…」
古式
「…」
俺
「も、門限は?」
古式
「えーと、午後6時ですわ」
や、ヤバい。
少し早めに出ないと危険だ。
ここからの移動距離を考えて30分前には出るか。
俺
「こ、古式さん。
点数見たらもう何かこの試合早く決着解りそうだし、
夕方の5時30分になったら早めに出ようか」
古式
「そうですわねぇ、
そうしましたら御夕飯でも一緒に如何でしょうか?」
冗談じゃない、
飯何か食ってたら悪魔の門限を
越えてしまうじゃないか
俺
「い、いやあ、お父様に心配かけると悪いし…
門限守らないと、ね…」
古式
「うふふ…大丈夫ですのよ、
今日は仕事でお父様帰ってこれませんの。
だから少し遅くなっても平気ですわ」
何だあ…そうだったのか…
それにしても何か危険な臭いのする娘だ。
無下に誘いを断る必要もないが細心の注意を払って付き合おう。
俺
「あ、そうだったんだ、良かった。
それじゃあせっかくだから
試合も最後まで見ていこうか」
古式
「はい、是非」
俺
「あ、また打ったよ」
古式
「本当ですねぇ…」
俺
「…」
古式
「…」
目の前では僕らの応援席側のチームが13点目の
ホームランを打ち放ったところだった。
うーん、なんかボロ勝ちだなあ、
第一野球ってこんなに点差のつくスポーツだっけ?
その後、試合は更に怒涛の追い込みをかけ
結果32対4というフェアスポーツにあるまじき展開で終焉を迎えた。
俺
「…」
古式
「…」
僕はその後、古式さんの紹介してくれた店に向う事にした
《車内》
俺
「な、中広いんだね」
古式
「そうでございますか?私いつもこの車なので」
驚いた、こりゃ予想以上だ、
俺の部屋の二倍、いやそれ以上あるぞ。
何より奥行きが違う。
と、俺が広々した車内というには不自然な環境にあたふたしていると、
いつの間にか古式さんの紹介するレストランに着いてしまった。
俺
「うわぁ〜…」
古式
「ここのラム肉のコロレは大変美味しいんですのよ」
俺
「は、コ、コロレ?」
や、やべぇ英語でもねぇよ…
語呂からして恐らく調理法かなんかだと思うが、つーか、俺ここ入れんのか…?
確かこういうとこってバラエティのコントで正装がどうだとか言ってた記憶が…
今の俺の服装は…
やべぇよっPUMAだよ!
PUMAじゃ高級レストラン入れねーよ!
俺
「こ、古式さん悪いけど、
俺正装してないしここ入れないんじゃないかな?」
古式
「大丈夫ですわ、車内の後ろにドレスルームがありますの。
そこに何着かフリーサイズのタキシードを用意してるのでお好きに試着して下さい」
車にドレスルーム!何て贅沢なっ
とと、いちいち憤慨しては居られない、
待たせる訳にもいかんしさっさと着替えてこよう。
と、俺は無事試着を終え車の外で待つ彼女と一緒に
物々しい雰囲気の漂う超高級レストランに入り、
中に居た端正な顔立ちのボーイに誘われるがままに席に着いた
俺
「メニューは…と、」
席に座るなり、
とりあえず気持ちを落ち着かせるのも兼ねて
メニューを開いた俺は少し安心した。
客層に気遣ってか読めない字の上にきちんと
英語ないし日本語でルビがふってあるのだ。
ただ驚愕なのはその価格。
ウォーターが1000円というベラボーぶりである。
一体、エビアンの何倍濃い天然水を使っているのであろうか。
俺
「………」
その他も食指の伸びそうなメニューを
探し続けるも見てるだけで卒倒してしまいそうな
桁外れな価格の応酬、5000〜1万〜
物によっては10万なんてものまである。
ファックッ!テメーラの末路辿ればウンコの分際で!
もう駄目だ…
手間かけて悪いけどこういう店に慣れてる
古式さんに俺のメニューをお任せで頼むとするか。
俺
「あの古式さん?」
古式
「はい、何でございましょうか?」
俺
「悪いけど俺こういう店慣れてないもんで。
もし良かったら古式さんのお勧めでオーダーしてほしいな…と」
古式
「えぇ…解りました。」
ほっ…これで何とか事なきを得られるぞ
そして、その後、
皿に盛られた眩いばかりの超高級食材が次々と目の前のテーブルに並べられ、
俺はその大量の食器を目の前にして複雑なテーブルマナーに戸惑いながらも
古式さんの「気にせず楽しんで食事をいたしましょう」という、
心遣いのフォローにより美味い飯を堪能する事が出来た。
会計は勿論、彼女が支払った訳だが(カードで)
ご馳走様、古式さん。
その後、俺の家の前まで例の高級車で送ってもらい今日の付き合いは終了した。
何だかんだで気苦労が多いながらも楽しめた1日であった。
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