「新」で「真」な怪獣ホラー 「シン・ゴジラ」を観る インプレッション

先程、最寄りの映画館にて現在、話題沸騰中のシン・ゴジラを友人と一緒にレイトショーで観てきた。感想として、今回のゴジラは

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以上、の3本でお送りします。

と、サザエさん形式のタイトル予告で締めてみても
感想があまりに断片的過ぎてクロスワードパズル状態なので
上記に挙げたキーワードを引き合いに下記でもう少し具体的に感想を述べます

今度のゴジラは壊し方がヤバい

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これですが、怪獣等の巨大生物に焦点を当てたパニックムービーって、どうしても対抗するヒーローや大げさに逃げ惑う一般市民をバックにやたらとデカい鳴き声連発させるだけという印象だったんですが、(ちなみに今回は例のゾウに似た鳴き声殆ど上げません)本作はゴジラへの攻撃の際、自衛隊のミサイルや光線で真っ二つにしたビルでゴジラに物理ダメージを与えて倒したり、ゴジラの動いた衝撃でぶっ飛んだ橋が攻撃中の戦車に勢いよく突き刺さったり、ゴジラが踏み潰したビルの内装を中から撮影する等、架空の巨大生物が実際に現れ活動した際の被害想定を限りなく現実的に表現してる部分。

これらの演出は元々、特撮小僧でミニチュアで死ぬほど遊んで、そっち方面の知識も豊富だからこそ出来た庵野氏ならではの演出技法、手腕だと感じるところ。本作でも基本殆どのシーンはCG処理で制作されていますが、こういう独特な倒壊の仕方、炎上の表現手法は実際ハンドメイドでやり尽してないと出来ない所だと思います

こういうミクロ視点の発想って中々近年の特撮ものでは無かったんですけど、これを観て「あー、やっぱリアルタイム世代の人って着眼点が全然違うな」と感心しました。

この表現も観た人によって、地味、まどろっこしいと感じる人も居るかもしれませんが、少なくとも自分的には「恐い」というホラー的な観賞視点を特撮に見る事が出来たので素晴らしい演出だと思っている。

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出展:庵野秀明 特撮博物館より

ハイリ時々、破壊光線。

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次にこのテーマ。

作品中盤、国を破壊し続けるゴジラ迎撃作戦の為、防衛省に寝泊まりして疲れ切っている官僚の方々がやり取りをするシーンの際、作業着を着た片桐はいりがヌッと割って入って「あの、お茶どうぞ」(台詞はこれのみ)と言い放つのですが、この時のインパクトが凄まじく少なくとも俺の中のシンゴジラ ハイライトベスト3に終盤のゴジラ渾身の破壊光線を放つVFXシーン、片桐はいりのお茶くみシーンは間違いなく入りました。

むしろCG処理されていないはいりはゴジラ作中屈指のインパクトで彼女を超える物が存在しません、彼女の存在のお陰で僕は作中出ずっぱりの米国大統領特使カヨコこと石原さとみの存在を観ながらにして忘れた程です。ただ石原さとみのSP役として無言で延々隣に立ち尽くすマフィア梶田くんの事は印象に残っています。

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これを役というのか微妙な位だけど、冗談抜きでこの二人の演技を劇場で観るだけでも十二分な価値があります、是非その目で確認して下さい。

突撃 アド街的破壊探訪。

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はい、なんのこっちゃって感じですが、上述の通り、ここ最近のパニックムービーって「何となく都心部っぽい街」を派手にぶっ壊して、後は防衛隊等が自分たちの代わりに怪獣と闘ってくれるヒーローをサポートするという程度で、派手な破壊シーンをダラダラと流してヒーローが現れるまでの尺稼ぎに離れた建物やシェルターで怯えるエキストラを映すという感じだったんですが、本作ではゴジラが破壊活動を行った場所が関東という事で、破壊活動のシーン冒頭、具体的な地名が字幕で表示され、その区の名所や都市部の中、逃げ惑う民衆や破壊され壊れゆく建物の様子が見事に表現されています。

筆者が観に行った映画館はレイトショーの時間帯だったという事もあり、見るからに品の良さそうなマナーの観客の方々で埋め尽くされていて、劇中も声一つ漏れない素晴らしい環境だったのですが、それでも、ゴジラが「横浜市磯子区洋光台 」を舞台に暴れまわるシーンが流れると、かすかに席の後ろの方から「あっ俺ん家ぶっ壊されてる」とヒソヒソ声が聞こえました。ちなみに筆者の友人の家は都内某所なのですが、作中彼の自宅付近もゴジラに破壊されつくされたらしく「ここ、俺ん家なんだよね」と、劇中耳打ちして教えてもらいました、ご愁傷様です。

何気ない演出に見えるんだけど、こういう地域的な部分を利用する特撮視点って僕の知っている作品を思い返す限りあまり例が無く、凄く斬新で面白い手法だなーと思いました。

あえて例えるなら同監督作品のエヴァンゲリオンのテレビ放映初期から中期頃まで、そしてジョージ秋山「ザ・ムーン」を題材とした事でお馴染みの鬼頭莫宏による異色のSF作品「ぼくらの」に、そういう人間の生活空間と巨大ロボットの戦闘という日常と非日常を交錯させるシーンはいくらか見られるけど、シンゴジラのそれは劇場的にそういう演出をもう少し派手にテンポ良くしている感じ。よく言うとエヴァンゲリオン等でロボットアニメに現実的な事を言わせたり、日常を感じさせる事をすると安っぽくウソ臭くなっていた部分がシンゴジラで実写化した事によって上手く調和したかなという見方も出来る。

以上、自分が感じた本作の良い部分を抜粋して一部紹介するとこんな感じ。

まあ、わざわざこんなテキスト見なくても話題の映画ですし、僕より著名で教養のある名レビュアーの方が素晴らしい感想テキストをネットに寄稿しまくっているので、もっとネタバレや作中の具体的な考察、解説が見たい方はそちらを調べてもらうとして、僕個人的に見たシンゴジラは理屈抜きに面白い作品の一言。

この場合の僕が言う面白さは「エンターテイメント」としての面白さで、具体的な考察、人間ドラマ、作中の細かな矛盾や台詞回しといった局所的な部分は差っ引きます。そうした部分をみれば当然粗も多数見つかるでしょうが、そういう部分は、この映画に「合う」人からすれば多分観てる内にきにならなくなるんじゃないかと。

本作は恐らく特撮作品というものを幼少期から直に肌で感じて接してきた庵野秀明という人物で無ければ生まれない怪作だったと自分なりに推測しまして、そういう部分で原点回帰的な側面もあるんじゃないかと、ゴジラを中途半端にしか知らない側としてしてみると、基礎となる知識の人間がそういう矛盾点を探すのもどうなんだっていう気もするので。

元々、この映画に僕が興味持った事を思い返すと、シンゴジラ公開直前位の頃、主演の竹ノ内豊がインタビューで語っていた

「エヴァで壊れた筈の庵野がまたブッ触れた」

という公式インタビューにしては随分砕けた傾向の発言をしてたのを見かけてから気にはなっていたんですが、今回映画を観て自分の眼で確認しました「確かにぶっ壊れてる」

多分このインタビューで竹ノ内氏が言いたかった事は、世界的な超名作を産み出した人って、自分で生み出したヒット作の呪縛に近いエピゴーネンと世間の評価と影響に引きずられて廃人みたいになって朽ち果てるか、新しい物が生み出せなくなるケースが結構あって、庵野氏もその例にもれず、自分から見てももうエヴァの人って枠の外にも中にも入れない人って広告塔みたいな感じだったので、そこにあえて「この上ない思い入れのある特撮作品」をブラッシュアップするという荒業で、そこを上手く脱したなという印象。これがシンゴジラ全体に漂う、開き直りとも作り込みとも異質な危機感にも近い思い入れを醸し出してたのかなと思いました。

といっても、庵野氏のエヴァンゲリオンといえば、作風は違えど藤子Fのドラえもんや、さくらももこの ちびまる子ちゃんみたいに既にライフワーク化してしまってる作品なので、今後エヴァはエヴァとしていくんだろうけど、それでも「こういう引き出しを増やせて良かったなー」という印象でした。

僕自身、同シリーズ作品で見た事あるのが初作とモスラ、キングギドラ位しか無いので大した参考にもならないんですが、そんな自分みたいなニワカゴジラファンから観た感想としても、平成以降、興業目当ての安易なバトル路線に転じてしまった近年の作風とは違い、環境問題をテーマにした怪異ホラー色の強い昭和初期頃のゴジラへの原点回帰を意識しているのだろうなという感じは作品の至る所から感じられました。

バトルもの色は薄れたといっても、シンゴジラには具体的な形をした巨大生物、ヒーローは出てこないものの、本作のゴジラと対接する敵は確実に居て、それは「日本」という国とその国の「政治」や「科学」そして、それ等をサポートする「外交力」を集約した「英知」であって、その英知は目下、高度経済成長期の最中にあった1959年の日本が制作した「ゴジラ」という、ある種のジャポニズムを内包した怪獣映画がかつて持っていた環境問題の真っ芯に立ち向かう作品テーマだったもので、戦後数十年かけて徐々に忘れられていったその「原作」のテーマを庵野氏の特撮愛が蘇えらせたものだと思います。

そして、原作のゴジラが誕生した制作年、戦後間もない日本がその後待つ東京五輪や大阪万博、バブル経済といった国の灯を予感させる時代に産声を上げた庵野特撮少年の無邪気な情熱から元の形で更にブラッシュアップされて蘇えった、ハリウッドでも原作とも違う全く新しい「シンゴシラは」「新」でありながらも「真」な「ゴジラ」だったなという感想です。

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