スクラップペーパー

 

ゲマニズム発行メールマガジン12月号より)

当サイトで発行しているメルマガ「電脳ムジナ」
の内容についてゲマニ宛によく質問メールが届きまして。

特に隠して運営してる訳じゃないんですが、
(登録すれば誰でも読めますし)
どうも、定期購読するには「バックナンバー」か
せめて例文でも無いと登録作業を躊躇してしまうらしく、
管理者としてみれば、
購読者の増加がその様に希薄傾向にあるのは悩み所です。

そこで、今回BUG-DUMPを利用して
過去に配信した電脳ムジナのバックナンバーの中から
比較的使えそうなものを選出し一部掲載したいと思います。

今回は12月に発行された電脳ムジナ
「本当は恐い日本童話」を掲載します。



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前にサイトメンバーと会議室で話していたところ、
「人が持つ時間の概念」の話題で大いに盛り上がりまして。

彼女が言うに、ある本で読んだ説によると、
どうも「時」というのは進行につれ「過去を美化」した記憶組織が、
対象人物の様々な過去を覆う構造になってるらしい。

これを「時の侵食」と言うそうです。
「想い出」という言葉の響きに許容量の広さを
感じさせるのもそのせいかな。


私自身、まだ年寄りじみた事は言えない若造ですが、
やはりある程度年積み重ねてくると様々な苦渋や不快な思いを含めて、
凡そ殆どがまだ数年前の出来事ですが「暗い過去」を思い出そうとすると、
その側面に起きた
「楽しく活動的だった記憶」
の、方が遥かに鮮明に浮かんでくるのを確かに自覚出来ます。

まあ、これは私自身良い想い出少ないもんで
脳が防衛本能起こしてるせいかもしれませんが(苦笑)


ただ、ある程度の苦渋を理解した方が、
幸せに対する有難味は増すのかな?
って感じは年々増してあります。



この間「まんが にほんむかしばなし」っていう、
10数年前まで市原悦子のナレーションでやってた
日本童話のリメイクアニメをビデオ屋で
レンタルしてきまして。

ビデオ一本に複数話入ってる話の中で
「うらしまたろう」が特に印象的でした。


皆さんご存知の通り「うらしまたろう」は、子供にイジメられてた亀を助けたウラシマが
「そのお礼に」と亀に連れられた竜宮城で心ゆくまで遊び呆け、
帰り際に乙姫様に「禁句」を押され手渡された「玉手箱」を、
帰ってから結局開けてしまい、中から出てきた白煙を浴び
白髪の老人に変わり果てたまま終わってしまう。
という、何とも切ないお話しです。

この解釈について「乙姫が悪い」「ウラシマが可哀相…」
と、話を目にした様々な年齢層からの批判が今だ絶えず、
うらしまたろうは日本童話の中でも特に残酷を極める悲話とされてますが、
果たして本当にそうでしょうか?

私は原因はウラシマにあると思います。



そうというのも、
彼の私生活が裕福で活気に満ち溢れたものであれば、
彼は亀の誘いを断り自宅に帰る選択を優先したと思います。

また、裕福ならずとも家庭や仕事を背負って生きる男なら、
責任を果たす為早々に帰還したでしょう。

しかし、彼は3年もの間、帰るタイミングを作れなかった。
それは彼に自分の場所が無かったからだと思います。

史実には彼が竜宮城に滞在していた期間は3年間。
この期間に起きた竜宮城と表世界との時間差については
漫画の中でもユニークな解釈がされてたりして、
竜宮城は宇宙空間じゃなかったんだろうか等、
(これは藤子Fさんだっけな)
宇宙人と魚を交換して描かれていたり、
これはこれで夢のある話だなと思いましたが(笑))

けど、私が思うに「うらしまたろう」という話が
読み手に伝えたかった事実は「時間の大切さ」そしてその残酷さだと思います。


察するに、彼にとって日常とは狭く退屈なものだったのでしょう。
習慣的に繰り返される寝食に刺激の無い毎日。
史実には「心優しい」とされているウラシマですが
子供にイジめられていた亀を助けたのも、彼が退屈な日々に飽き始めていたと考えれば
興味本位で口を出したという推測も有り得ます。

そして「助けられた」と勘違いした亀に声をかけられ、
何の気無しに竜宮城に連れられた彼は、
辿り着いた楽園と退屈な自分の日常との差に驚愕させられる。

心優しく美しい乙姫に惚れ込んだ彼は、表の時間を気にする事無く竜宮城の日々を楽しむけれど、
「仕事」や「金」「寝床」等、生活を計る目安を一切必要としないその環境では、
時の流れを気にする必要がある筈は無く、
ウラシマは日がな毎日を自堕落に明け暮れていた。


また、天候の存在しない竜宮城という建物の中を
「ある特定の場所への引篭もり」として捉えると、彼の持つ行動力の低さが伺えます。


一つの場所に滞り、明日のモテナシの為に食って寝る。
疲れた時には寝てるだけ。

このリズムは、家庭の支配下におかれた事務職員等、
時間を切り売りする職業的立場に類似してると思います。


自分の意見や的確な場所をもたないウラシマにとっては、
その毎日の流れが存在価値であり、彼にとって竜宮城は始めての居場所だった。

けれど、そこはあくまで乙姫の所有地であり、
居候の彼にいつまでも奉仕するのは、先住民にとってもウザったいという現実。

これを家庭環境における「無趣味な父の休日」に置き換えて考察すれば、
立場的にいつも働きに出てる父に奉仕する母は「乙姫」で、
父に媚び「遊んで」とすがる子供は「踊る魚」でしょうか。

どちらにしろ、
甲斐性無しの状態の無趣味な人間は扱いに困るでしょう。


そして、遂に「帰る」と自らの口から言い出したウラシマに、
乙姫より「玉手箱」が手渡されますが、
私はこの玉手箱の中身を「鏡」として捉えてます。

乙姫は恐らくウラシマと長い時を過ごしてる間、
彼の体が徐々に老いていくのを目にしていたけれど、
それを伝えられず困惑していた。

そして、帰るまでその事実を伝えられなかった乙姫は
自分自身で確かめるのが一番良い方法として、
彼の真実を映す愛用の手鏡を玉手箱に入れておき、
別れ際の彼への最後の愛情として「開けないで…」と手渡す。


また、開けた時に出てきた「白いケムリ」
これは人間は極度のショックを受けると
視覚障害で目の前が真っ白になると言いますが、
あんな感じを表現したんだと解釈します。

彼が「3年」と感じたこの期間。
これは、
と比例して、
居場所も仕事も無く退屈でツマらないものだった
それまでの彼の時間と比例した場合、
竜宮城という遥かなる楽園の時の流れは充実的過ぎたが故、
彼が過ごしてきた「何十年」という時間の何倍もの密度を含み、
生活に必要な時間感覚を食い潰していってしまったんだと思います。

こう考えると童話「うらしまたろう」は、
現代社会の流れの一つの縮図の様にも思えてきます。


流し流しで過ごした時間が
何時の間にか体を老衰に追いやる。
時間の大切さを確かめる暇さえなく。



また、時間感知のメカニズムについては、
相対性理論を確立したアインシュタインが
以下の様に説いたとされています。



「かわいい女性を膝の上に座らせているときは、
1時間が1秒間のように感じられる。

しかし熱いストーブの上に座っているときは、1秒間があたかも1時間のように思える。」


http://www.hotwired.co.jp/news/news/culture/story/20021127205.html
(参照URL)




太く短く終えるか、
細く長く生き永らえるか。

どーせ一度っきりの人生なんだから、
泣いたり笑ったりしながら
しなやかに生きていきたいもんですね。



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と、以上、倫理的に問題のある部分に修正を入れた形で、
12月号の電脳ムジナ「本当は恐い日本童話」です。

いつも大体こんな感じのテキストか、
楽屋落ちで締めて殆どゲームに関係無いテーマが多いです。
っていうか、最近やる暇無いんでそっち系の話しは期待しない方がいいです(苦笑)

後はオマケなんかで、
メンバー間で録ったラジオ放送とかムービー関係の
期間限定URLをオマケにって感じでしょうか。

興味があれば今すぐにでも登録出来ますんで
メールマガジン購読ページへどうぞ。
http://hyahhou.hp.infoseek.co.jp/denmuji/denmuji.html


後、ページでは週刊発行となってますが
最近は一月に1〜2回発行となってます。



バックナンバーの公開時期は不明な上、
期間限定URLはその号間にしかリンクされないので
興味がある方は是非ご登録を^^


Last Update : 2004/02/18